日記
カップルがいっぱいらしいクリスマスイブ、家族も夕食を豪華にしたのだが自分は平常運転というかまあそんな感じ。あでもM-1グランプリがあったのは違った。
ところでそんなM-1グランプリの最終決戦にて「さや香」が「見せ算」なる演算体系を定義していた。代数学を志すものとしてそんなもん見せられたら色々調べたくなるものなのかもしれないが、一応示す。
そもそも「見せ算」というのはどんなのなのか。これは数が互いに見合った際の数の気持ちを汲み取る二項演算で、「a見るb」という感じで答えのことを「眼」というものである。(気持ち…!?) 基本ルールとして同じ数があった場合、数同士が「怖い…」と思って0となり、で違う数があった場合だと大きい方の数を返す。
ここまでだとトロピカル半環の「和」の変則版だが、(8見る8)見る1≠8見る(8見る1)なので既に自然数に対して結合則は成り立たないことが分かる。しかし自然数に限定すると、単位元として0があるのと、あと何かしらの数に対する逆元はその数自身であるという興味深い結果が得られる。
しかしこれだと漫才としてつまらないため、応用編として例えば6見せ9=11というものがある。これは6と9が似てるということで接近(物理的)して、その様子を横から見ると11になるという理屈?である。これと似た事例として2と5も接近するものの、こちらは似てないことに気づいた5が携帯を2と5の間に落とすから1.1ということである。(ちなみにこの結果、自然数の集合に対して閉じないということに読者は留意すべきである。) そして1見せ100=83である。これは1と100が見合ったとき100は大群だから1が腹くくって17人倒すから83ということである。これについて、83のうち1人が子供を産むため最終的には84になるという内容が大学院で習われるらしい。(聞いたところ数学では大学院の修士までは勉強らしいから正しいと思う)
ここまでの内容を踏まえると、数学的に曖昧な点が大勢ある一方でその曖昧さを何かしらの数で評価することでその数ごとに「見せ算」が定義できると考えられる。そのため1が17人倒すというのはそこまで問題にならないと考えられる。しかしながらこの上記の例で特殊な演算方法が全てだと考えると、基本ルールについての逆元の性質はそのままでいいと考えられるが、例えば0見せ100となった際に0も腹くくって100から何人か倒すのか。ただ、この場合だと100が集合の大きさとしての意味を持ってしまっているため0は何もないと考えるべきだろうと考えている。したがって(??)、0は負でない有理数全体の集合への「見せ算」についての単位元的な役割を持つと考えたい。まあ実数全体にまで拡張すると-∞に相当するものが単位元となるのと逆元が存在しないということになるのでその点、a見せa=0の面白さが薄れている気もしなくもないが…。ここまで単位元と逆元について考えたので、となるとあとは結合則のみとなるが、これは難しいのでとりあえず今日はここまでとする。
ここまで考えてみて、数の気持ちを汲み取る「見せ算」が意外にも数学的だということが分かった。しかし、素数である7人の審査員による審査の結果、「さや香」への票が1見せ1になったのは、アレが漫才として考えると数学に寄りすぎたネタだったのでなんとも言えない。ただ、決勝でアレを持ってくる「さや香」もまた凄いなーとただただ思うばかりであった。