こんにちは!
大学院の試験まであと11日しかないeruです!!!
今日はいよいよエンダードラゴンを倒していきたいと思います!
ここまで来るの長かったなー
(中略)
最後は中心にいるエンドラをひたすらフルボッコ
倒した瞬間
討伐!
エンディング
いやーエンディング長いなー
ガチで院試対策をしろという話なのだが、気晴らしに少しずつ進めていたゲーム、「Minecraft」をクリアした。エンディングのクレジットがあまりに長すぎるためスマホで流しながらPCで打ち込んでいる次第。
Minecraft(以後マイクラ)というゲームはもはや説明不要だと思われる。今更かと思われるかもしれない。私もかれこれ11年遊んできた。しかし11年遊んできたのにもかかわらず先ほど初めてクリアした。小5から何やってたんだと思われるかもしれない。後述するが11年間、サバイバルは難易度をハード縛りで攻略してきたことがこの遅延の主な原因である。そしてその間は大概マグマに落下した後に萎えて辞めるか、飽きるか、もしくはクリエイティブモードでひたすらレッドストーン回路をいじるかに終始し、ポーションすら作ったことが無かった。
しかし大規模サトウキビ畑を構築してから見違えるほど充実した。というのもサトウキビ畑の効率があまりに良すぎるのだ。倍々ゲームの要領で増やしさえすれば司書などとの交易により大量のエメラルドを稼げる。それを元手に、それ相応のダイヤを採掘せずともダイヤ装備を手に入れることが出来る。
そこからのサバイバルは展開が早かった。ダイヤ装備&弓をフルで整え、エンチャントテーブル最大レベルで装備を強化し、最終的にエンダードラゴンを倒す。アップデートで11年前と状況はまるで異なるがエンドラ戦は、この年月は一体何だったんだというほどにあっけなく終わってしまった。実のところ、私にとっては道中のネザー要塞こそが最難関だと感じられた。
唐突にマイクラの話を投稿したように見えるかもしれない。しかし実はこのブログの源流こそマイクラにあるといっても過言ではないのだ。このことを以下で説明する。マイクラを始めた11年前は私がブログを書き始めた時期でもあり、親に買ってもらったタブレットにて、最初にして現在も運用しているGoogleアカウントを作成した、まさしく私の「インターネット元年」ともいえる時期である。そしてこの年、ゲーム実況のために最初のブログを立ち上げた。2014~15年当時はYoutuber黎明期であり、小中学生の「なりたい仕事」ランキングにもYoutuberが上位にランクインするなど動画編集者という地位は一般的な子供たちからしたら憧れの的であった。子供がYoutuberとして活動した事例もあり、「俺って○○○○(当時登録者80万人)なんだよね」とクラスメートが嘯いたこともあった。その一方、当時の筆者は冷笑・逆張りをしており、具体的にYoutuber志望は痛いと考えていた。しかし、オープンな場での自己表現、具体的にはYoutuberのように情報を公開したり思想を開陳したりすることには興味を持つという一見矛盾のような感情も持ち合わせていた。そのため動画がコンテンツの主流となりつつあるところをあえて文章ベースのブログを執筆しようと思い至り、小5にしてはてなブログへと踏み入ったというわけである。なお、数多あるサービスの中で「はてなブログ」を選んだのは普及率の高さもあるが、他にもDS「うごくメモ帳」の運営元でもあったため個人的に認知していたことも要因である。(もっとも、遊んでいたのは3Dの方でこちらははてなではなく任天堂だが。)
マイクラが流行しだしたのは2014年であったと記憶している。最初に見たのは「コロコロコミック」だった。その目撃から少しして周囲が攻略の話題を持ち出すようになったが、私がプレイできたのはそこから一年たってからだった。それまで3DS程度しか持ち合わせていなかったがようやくタブレットを買ってもらい、そこから私のインターネットライフおよびマイクラ歴が始まった。
周囲より出遅れている分一発逆転をしようと思い、難易度は最初からハードに設定。今まで続いたハード縛りの始まりである。ブログ開始二回目(、最初の記事「ブログはじめました」を除くと一回目)の題は「無人島に取り残された話 ハゲ山にしたったw」。シリーズものだった。ランダムネスに地形を生成するのに設定されるシード値に1桁の値は通常は入れられないのだが、それを回避するというよくわからない裏技?を見せたかったためにシード値を0にしたところ、生成されたのが建造物もないただ樫の木が生えているのみの無人島だったためである。この初回の内容としては鉄のオノを用いて無人島に生えていた木を、幹だけ残して葉っぱを全てそぎ落としてみたという下らないものだった。笑いのセンスがないなりに考えだした企画、それが「ハゲ山」である。
このように当時は小5であったために見識が狭く、その後も見るに堪えない展開をインターネット上に公開していった。YoutubeをコケにしておきながらHikakinやミラクルぐっちなどYoutuberのパロディも行った。しかし一方で当時は今みたいに執筆欲が湧き上がらなかった。人に何か情報を伝えよう、誰にも見られなくとも残そうという気持ちも当時持ち合わせていなかった。そのため本数も10に満たない程度しか記事を残さずにいつしかブログは有名無実と化したのであった。
しかし当時の私はある勘違いをした。世界中の人が見れる、ただそれだけで「何者」かになったと思い込んでいた。そこで何をやったか、周囲にブログをやっている旨を言いふらしたのだ。その結果、中学1年のときにその一人が内容スカスカのブログの存在を触れ回り、たちまち悪い意味で学年中に知られることに。
この恥ずかしい、悪い噂はその後、尾ひれがつきながら、最終的に先生までも知るまでに発展したためブログは削除。削除後はGoogle検索の対策など事後処理を徹底した影響で現在では当該ブログはアーカイブ含め見る影もなくなっている。これが今に続くブログ習慣のきっかけである。なお最初の茶番は、一応は当時のノリを再現したものである。懐かしいと思い書き進めていたらいつの間にかマイクラのクレジットも終わり、主人公は夜半の丘陵にてただ遠くに広がる海を望んでいたのであった。
マイクラ始めて11年、院試まであと11日。頑張らねば。