象牙の塔4階2号室

アスペとADHDの高専生が日々の活動を記録する

March 25th

日記

 高専入ってから周囲と合わずにぐずぐずしていたものの、どうやら明石高専を中退して4浪してから京大に行き、そこで授業料免除からのGPA3.58という猛者がいることを知った。しかも一浪目の予備校以外のお金はバイトで賄ったというから驚き。もしかしたら自分も多浪して別の大学を受験しているかもしれない。そのときはよろしくです...(なお就職はしたらしいが4浪ということで不利になったらしい。新卒カードを使えるのは二浪まで)

 そんなわけで今日は久々に青チャートを進めた。高校数学はざっくりしていて私もいつもなら用いないグラフで回答した。それとセンター試験や共通テストの数学ⅠAの問題も解いてはみたのだが、この高専の数学では上位である私もノー勉だと平均?という結果に終わった。なかなかどうしてあんなに苦手分野だと思っていた確率の問題が調子よかったのは大学数学をかじった影響で個々の事象を扱うのに慣れ始めたからだろうか?

良いニュース

  • 近所に吉野家ができた
  • 人生どうにかなることが分かった

March 25th

日記

 高専入ってから周囲と合わずにぐずぐずしていたものの、どうやら明石高専を中退して4浪してから京大に行き、そこで授業料免除からのGPA3.58という猛者がいることを知った。しかも一浪目の予備校以外のお金はバイトで賄ったというから驚き。もしかしたら自分も多浪して別の大学を受験しているかもしれない。そのときはよろしくです...(なお就職はしたらしいが4浪ということで不利になったらしい。新卒カードを使えるのは二浪まで)

 そんなわけで今日は久々に青チャートを進めた。高校数学はざっくりしていて私もいつもなら用いないグラフで回答した。それとセンター試験や共通テストの数学ⅠAの問題も解いてはみたのだが...


良いニュース

  • 近所に吉野家ができた
  • 人生どうにかなることが分かった

March 24th

日記

 今日も数学(集合論)をしようと思ってはいたものの、論理学に傾倒した結果いつもより全然していない。それにもかかわらず今日はいつもより進んだ。このことから同じようなことをただただし続けるというのもあまりよくはないのかもしれないと結論付けた

 さてその論理学に関して、数学には証明論という証明を数学的に解釈するという学問がある。集合論を進めるにあたって、証明を既知の言語(日本語、英語、中国語、エスペラント...)で書くと不都合が生じるという事に気付いた。数学の証明とは論理の遷移であり、例えば式を解くという行為も左辺と右辺が等しいことを示すという証明題であると解釈した際には式変形を証明とみなすことができるが、この式を解く際もA=B=C...と式が論理的に変化する。このように一つの流れしかない証明は式を連ねるだけでいいのだが、例えば式に①、②、...の番号を振るような証明の際は複数の流れをまとめる必要がある。これは数式含めて書くと煩雑になりがちなためにあまり好きではなかったが、証明論にて用いられる手法を用いることでまとめることができ、さらには機械的に処理することもできる。いやはや今日も数学(集合論)をしようと思ってはいたものの、論理学に傾倒した結果いつもより全然していない。それにもかかわらず今日はいつもより進んだ。このことから同じようなことをただただし続けるというのもあまりよくはないのかもしれないと結論付けた

 さてその論理学に関して、数学には証明論という証明を数学的に解釈するという学問がある。集合論を進めるにあたって、証明を既知の言語(日本語、英語、中国語、エスペラント...)で書くと不都合が生じるという事に気付いた。数学の証明というのは論理の遷移であり、例えば式を解くという行為も左辺と右辺が等しいことを示すという証明題であると解釈した際には式変形を証明とみなすことができるが、この式を解く際もA=B=C...と式が論理的に変化する。このように一つの流れしかない証明は式を連ねるだけでいいのだが、例えば式に①、②、...の番号を振るような証明の際は複数の流れをまとめる必要がある。これは数式含めて書くと煩雑になりがちなためにあまり好きではなかったが、証明論にて用いられる手法を用いることでこれらの異なった証明法を形式的に統一することができ、さらには機械的に処理することもできる。なかなかどうしてこれは素晴らしいものではないだろうか...

 とばかり思っていたのだが、実際のところは余分にスペースは使うわ、機械的に処理すると言っても結局のところ人間が証明するわでわざわざ採用するメリットが低いようにも感じた

March 23th ポジティブに生きたい

日記

 今日もいつもと同じだったが嬉しいことが2つあった

 一つが昨日の問題を解き終えることに成功したことだ。今日解いた問題は、P\subset A写像f:A\rightarrow B単射であるときf(A-P) = f(A)-f(P) であることを証明せよというもので、f(A-P) \supset f(A)-f(P) は証明済みだったのでf(A-P) \subset f(A)-f(P) を証明してやるというところまで来ていた

 この証明題だが、f(a _ 1) \in f(A-P) を満たすa _ 1に対してa _ 2\in Pを取ってきてa _ 1\neq a _ 2を示すことでf単射であることからf(a _ 1)\neq f(a _ 2) f(a _ 1)\notin f(P) であることを導くことができ、最終的にはf(a _ 1) \in f(A)-(P) より目的の式を得ることができた

 もう一つの嬉しいことだがこれは些細なことで、上から背中に回した左手と下から回した右手が背中側でついた。反対のパターンはだいぶ前から出来ていたのだが、この成功により今までより背中を掻くことができる範囲が広くなったと言える

March 22th 可算無限とは?

日記

 ChatGPTはすごいものの、やはり経験をもとに語ることと自ら経験することは人間しかできないと感じている。それが人格なのだろう。

 今日も集合論の証明問題をひたすらに解いた。それだけだったのでマンネリ化する一日に危機感を抱いてはいる。

 これだけだとちょっとパッとしないのでここで可算無限について解説する

可算無限について解説する

 可算無限とは、有限ではないけども数え上げることができる無限集合のことを言います。例えば、自然数全体の集合( \{1,2,3,\dots\} )は可算無限です。なぜなら、1から始めて1ずつ増やしていけば、どんな自然数も数え上げることができるからです。(ペアノ公理系)

 一方で、実数全体の集合は可算無限ではありません。なぜなら、実数の間には無数の数が存在するため、どんなに数え上げても全ての実数を数え切ることができないからです。(カントール対角線論法)

 可算無限という概念は、私たちが日常的に触れる数の概念とは異なるものです。1や500のような有限な数は、直感的に理解しやすいものですが、無限の世界では、直感的な理解が難しくなります。そこで、可算無限を用いて、無限の概念に少しでも親しみを持っていただければと思います。

 可算無限については、まだまだ深い理解が必要な部分がありますが、ここでは簡単な説明に留めておきます。興味を持った方は、さらに詳しく学ぶことをお勧めします。(文:ChatGPT,える)

 追記:三段落目からの急なポジショントークみたいな文章、一体どの目線から言ってるんだ? (える)

March 21th

日記

 世間は野球の話で盛り上がっているらしいので自分も見ておけばよかったと少し後悔

 今日は14時に起きた後に数学して習字行ってごみ出して今に至る。起きた時間が時間なのだが、これは数学の調子が良かったがために寝る時間が無くなったからである。しかし今日は全然進まなかったのでまた夢に問題を持参することを試みる

習字

 楷書と臨書を書き終えた。楷書から書き始めたので楷書は珍しく十分に満足のいく書を仕上げることができた。ただ臨書は満足いっていない

March 20th

日記

 今日も今日とて「集合・位相入門」の攻略。このままのペースだとちょっと群論までたどり着けそうにないことが予想されるのでちょっとだけ急ぎたいと思っている次第...。

 しかし今日は何とか難問の証明題を一問終わらせることができた。実は寝ながらそのことについて考えようとしたものの、浅い眠りしかとることができなかった上に数学の難問を考えていたつもりが何故か恋愛のそれ、しかも過ぎ去った恋愛と言う大変大きなテーマを取り扱ったものへと変質してしまった。これに関しての詳細は伏せておく

 その難問が終わってからの問題は簡単で、すぐに終わった。そして新しいセクションに入ったが、しかし初めて聞く考え方もその中に含まれていて、このことから苦戦する予感をひしひしと感じ取っている