日記
昨日、課題を一つ終わらせたということで気が緩んだ。というかまあ緩みすぎて空想の世界というべきものにふけっていた。
えー空想の世界への入り方。一、なにかものに目を向ける。二、心の中の声を聞く。三、返信する(このとき実際に声を出すと尚良し!)。四、あとは好きにベラベラと…。
まあ実際にこの道15年(物心付いたときから数えて)なのでこの手の独り言に関してはベテランです。えーしかしですね、これをやり過ぎると家族に、誰に電話してたのか聞かれるので気まずいです。まあただ一人の時に孤独とか感じないので強いです。
それにしてもこんなことで時間潰せる輩が他にいないのも悩ましいというか何やろ共感されない寂しさはあるなー
例えば何やなこう机に向かって集合論をしようとした際にふと目をやったところにあった、筆で「柿ぴー」と書かれたデザインを見て、「あーこれここ逆筆だな」とか「止め方独特やな」とか言ったり、他にはなんソクラテスの「無知の知」について語ってたなー。
今日やった会話いきます、「数学ってあの例えばなんで1+1=2になりますかとか、そういったもんに対して理由づけできるんだけども、公理に対してでもなんでそうなるんですがと言ってももうそれだからとしか言えないわけで。でまあだから数学するからこそこう感情が理解できるようになるというか。まあ感情ってこれ以上疑う余地のないものですよね。じゃなんで数学するのかと言われても結局のところ感情に行き着くと言うか、嬉しいとかプラスマイナスでしか言えない。ちなみにまあ逆に国語の先生とか論理的かもしれませんね例えば在原業平が女を求めたのももろ感情やけどあの例の先生の前で感情だしてもダメなものはダメ。ということなので数学するといかに感情が大事なのかがよく分かる訳ですよ。ソクラテスの無知の知という言葉があるじゃないですか。まあソクラテスはなんだなんだと聞きまくることで専門家の無知を暴きまくったらしいんですが、でもまあそれだと何も進まない訳なんですよ。だから、数学は『これは絶対正しいよね』というようなものを決めてしまうんです。そうすることによって形作られるといいますか。例えば虚数は存在しないとかいう議論は無意味なんですよだってほらそもそも『これは絶対正しい』というものを決めてやるのが数学ですからそれを言うなら自然数も整数も決められたものじゃないですか。自然数だって集合で定義できますよ。……」
こういうのをシラフで一人でやってますが改めて考えると怖いですねーいやこれ自分は心の中で同意してくれる何かがいるからベラベラと話せるんですがまあそういう訳なので誰かとの同居は難しいなーと
(先程の要約…数学は公理中心だけど公理はある種の感情だよね)
ちなみに集合論に関しては問題が解けそうなので普通に良かったな〜と