日記
今日はようつべやマイクラしながらゴロゴロしたあとに雪江代数(代数学の本)に挑もうとしていた。
独学したい(言い訳に聞こえるかもしれないことはご留意下さい。)
ノートを取る行為に苦戦中の、独学の才能がなさそうな私。
どういうことか、私は過去に発達障害(自閉症スペクトラム)と診断されているだけあって曖昧な命令や物事が正常な人より理解できないのだがその一方、板書を丸写しすれば良い学校での授業とは違って独学でのノートのとり方というのは法律等で定まっていないのでどのようにしようかずっと悩んでいた。
先程の文に対する補足。その悩みの1つに対するある種の帰結として少なくとも本に書かれた定理は全く書かないというのがある。これは定理を書くと結果的にノートが本代わりとなるのにも関わらず書いても理解できるとは限らないからだ。
閑話休題。しかし、私の持つ発達障害の特性として前述の曖昧さを苦手とするということより目立つものでこだわりの強さというのがあり、実際に私も数え切れないほど自身の特性を味わってきた。これに関しては昨日の記事にも乗せている。
この2つが合わさるとどうなるか。自分で決めたルールを、まるで場合分けするかのように定めて対応するようになる(この方法を他人とのコミュニケーションに用いている人もいる)。今回の場合はひたすらギチギチに詰めてノートを書くようになった。見にくいのが欠点だが自分の中で尤もらしい「ノートの書き方」である。
では一体どういった点でこの「ノートの書き方」が自分にとって尤もらしいのか。小学校4年生の最初の頃、とある授業にて、「別の科目が入る気持ち悪さ」から前年度で1ページしか使わなかったノートではなく別のノートを使おうとしたことがあって、母親から「勿体ない」と言われたことがきっかけである。私は、前述した強い拘りからそのノートの使用を断った結果、親はその1ページを破いたのである。この行為に酷い不快感を覚えた私はそれ以来その破かれたノートを使ってないのは勿論のこと、今日のように「勿体無い」との言葉にこだわるようになり、先程も述べた通り独学するときには隙間を気にしだすようになった。
さて、ノートにこだわりすぎたところで進まないのが勉強。そして雪江代数の返却期限まであと5日。この終わらない悩みに終止符を打ちたいので正直そろそろ教えて欲しい...。
定義の復習
写像
「fがAからBへの写像であるとは、全てのAに属する元に対して、Bの元が唯一つ定まること」
これを覚えておくと論破王(笑)の前でも「写像?写像ってなんですか」→「『fがAからBへの写像であるとは、全てのAに属する元に対して、Bの元が唯一つ定まること』です」ということでその後の議論にて「写像」という言葉も使えるようになるはず。まあしかし私はしっかりと理解できてなかったために演習問題にて少し悩んだのでここに書いたというのが本音。
目標
課題
実験レポート
やってない
英語Cワークブック
やってない
国語作文
やってない
現代社会レポート
やってない
PC修理
部品頼んでない
ブログの編集開始時刻
22:10
ブログの編集終了時刻
23:14
0:30までに睡眠体制をとる。
- 0:30までに寝た。
- 1:10までに寝た。
- それ以降に寝た/寝てない。