明けましておめでとうございます(今更ですが)
マイペースなので年頭所感を発しませんでした
一般的高専生との価値観の違い
今でも独り言で「高専やっぱ向いてなかったわ~」とつぶやくほどに高専と決定的に価値観が合わなかったがために今九大理学部数学科の三年生とかいうよくわからないことになっている訳なのですが、ちょうど今自分の頭の中で、高専との間に起こした不協和についてうまく因果関係が判然としたため2026年最初の記事として、そのような事態を引き起こした一般的な高専生との価値観の違いについて書きます。
初めに自分のような社不と比較した際の一般的高専生の特徴・性質について述べます。たとえば数学のことなど、悪く言ってしまえば就職関係以外のナニカが常に脳内を駆け巡っているのが私です。それに対し一般的な高専生というのは、(人により個人差はあれど)いい就職をするために門をたたいたちゃんとした人が大半でして、現にとある年の高専全体における、「就職希望者に対する就職者」の割合が100%(四捨五入なし)だったりと、高専の「就職予備校」たる目的上就職のために頑張っているというのは多いです。もちろん一般的な高校生も就職のために、就職と本質的に関係しているのかわからないような勉強やレポートを頑張るのかもしれませんが、少なくとも高専とかあとは大学の工学部なんかがそのような目的で建てられた以上私のような、将来に邁進することよりもなんか象牙の塔に引きこもるような人とは頑張らせるモチベーションが違っていたため合わなかったということです。
であるからして中学から高専に上がる際に落ちこぼれた「ように見えた」ことも説明がつきます(自分は高専進学後二年以上成績が底辺でした)。中学が、地方都市の中では最上の一つだったことにより、まるで「純然たる向学心を持っているかのように見える人」という例えば某〇〇館とか〇〇研でGTRだとかまるで何かの車種かのようなクラスに属している出来のいいのが少なくなかったため、自分と周囲とのモチベーションの違いについて意識することがなく、結果的に自分も将来のために勉強している側であると錯覚したために高専に進学するという愚行を犯したわけです。すなわち中学在学中から問題は始まっていたということです。(結局はそのような「純然たる向学心を持っているかのように見える人」というのも実際はほとんど医学部だったがために今となっては一般的高専生と、モチベーションの面ではそれほど大差はなかったわけなのですが。)
今数学をしているのは中世における芸術復興であったルネサンスのような、純粋に勉強していたころに戻ろうというある種の懐古主義の一環でもあります。本来自分はベッドで寝ころびながら図鑑を読み、人前で知識をひけらかす嫌な子だったのですが、勉強ができるということで親や周囲の社会人に目をつけられ、将来のための勉強と仕向けられてしまったために最終的に高専で失敗しました。そこでこの活動によりかつていた聖域を取り戻すということを目的にしてここまでやってきたというわけです。そもそも目的が混入した純粋でない活動をしている時点でかつての自分とは程遠いですが、今年は大学院受験も控えているということで今年はぼちぼち頑張っていこうかなーと思っている次第です。
年頭所感といえば
話は変わりますが年頭所感で思い出したのがRIMS(数理解析研究所)の望月新一先生のブログ「新一 心の一票」。年一回のみ、年始に更新されるものですが、今年は読み応えがありますね。LEANというものについて触れられていますが、これはMicrosoftの開発した証明支援ツールと呼ばれるものの一つで、このようなシステムにはほかにもCoqなどがあげられます。これらのツール(自分はLEANにしか触れたことはない)はプログラム状に形式化された「証明」を、ソースコードよろしく打ち込んだものがリアルタイムでシステムにより解釈されるという支援の形態をとっている訳ですが、実際読んでもわからないのでネットに「Natural Number Game」とかで歯ごたえのあるチュートリアルが出てきます。
LEANといえばこれはシステムの根幹をなす原理だと勝手に解釈していますが、自分が情報系から数学系にシフトさせた橋渡しの一つが、「カリー=ハワード同型対応」と呼ばれるものでした。これはつまりソースコードと証明とが対応する、確か正しい出力を行う関数のソースコードを証明と見なすとかだったと記憶してますが、これを知った当時高専二年、高専に不満を募らせていた情報系人間は高専の、今思えば少し狭い図書館の中で、自分のしてきたパソコンカタカタが、本質的に数学しているのと変わらないんだと感じた覚えがあります。